Apple MusicをやめてTSUTAYA Discasにした理由
「音楽に詳しくない自分に向いている」と、けっこう気に入って利用していたApple Musicだが、試用期間の3ヶ月で解約することにした。
http://holykurka.hateblo.jp/entry/2015/07/05/140525
Apple Musicというシステム自体は良かった。3ヶ月いろいろな洋楽に触れて楽しんだ。でも、本来の「自由に音楽を聴く」という機能に支障が出るようになってしまった。
iCloudミュージックがうざい
Apple Musicを有効にすると、iCloudミュージックが有効になり、プレイリストをデバイス間で同期するようになる。
iCloudミュージックは、スマホでしばらく聴いていない曲があると雲の上に送り、ストリーミングで聴ける状態にするのだが、私の場合「特定のアーティストの曲だけ全シャッフル」というのをよくするので、これはとても困る。
ストリーミング再生できるのになぜ困るのだ、と言われそうだが、私の場合、外で仕事をしているときや、ドライブで高速移動をしているときにこの聴き方をすることが多いので、オフラインで聴きたいのだ。
ただでさえ仕事でテザリングを利用するのに、ストリーミングごときに貴重な通信量を消費したくない。iPhoneの容量なんかどうでもいい。
なお、完全にオフラインで聴くには、一曲ずつ(アルバム単位ではうまくいかなかった)メニューを出して「オフライン再生」を設定しなければならない。
先日も北海道へ帰省中、札樽自動車道でスキマスイッチでも聴くか、とiTunesを起動したらこの有様である。
オフライン再生に設定していたのが3曲だけだったので、高速にいる間じゅう、その3曲だけ再生され続け、手が離せず止めることもできないという無間地獄に陥ってしまった。
で、試しにiCloudミュージックを停止するとこうなる。Apple MusicはiCloud必須なのである。
曲の偏りが激しい
Appleと提携していないレーベルは出てこないので、やっぱり偏りは強かった。2ヶ月も経つと、前に見たプレイリストが頻発するようになった。私、キリンジや安藤裕子苦手なんだってば。
洋楽はわりと満遍なく配信されており、邦楽でも、レンタルでは聴くことができないモンゴル800があるのはなんだかうれしい。
しかし、秦基博、山崎まさよし、元ちとせなどが所属しているオフィスオーガスタのレーベルがあまりないようで、残念な感じだった(元ちとせがメジャーデビューする前の島唄はたっぷり聴くことができたが)。
CD3枚分楽しめるか?
という感じで、金銭的なバランス、本来の使い勝手が悪くなったことを考えると、980円=CD3枚分には届かないという結論となった。
とりあえず、これまで入手した曲を再度ライブラリに入れるため、TSUTAYAへ行くことにした。
店レンタル地獄とネットレンタル
久しぶりのTSUTAYAはさっぱりわからなかった。
ウルフルズはどこにあるのか。ア、イ、ウ…ってここ洋楽の棚やん!邦楽…あれはポップなのロックなのパンクなの!?ロックか?苦労して棚を見付けても貸し出し中だし!
借りるのを諦めてTwitterでぼやいていたら、友人らが「ネットレンタルはどうか」と勧めてくれた。
定額制のTSUTAYA Discasと、都度払いのぽすれんがあるらしい。スマホで申し込んでおくと勝手に届いて、ポストに投函すれば返せるらしい。
数年ほどレンタルをしていなかったので、全く知らなかった。世の中便利になったのう。
検討した結果、TSUTAYA Discasを試してみることにした。RSRで聴いたかなりマニアックなアーティストも揃えていたことや、在庫が充分にあり、貸し出し中が少ないのが理由。
Tポイントも貯まるし、管理画面のUIも悪くない。
お試し期間なので新作の「インターステラー」など借りてみた。第一弾が届くのが楽しみだ。
結論として思ったのは、やっぱり私はLife is Musicな人ではないなあ…ということ。
洋楽やジャズの有名アーティストの名前を覚えられただけでも収穫だったかな。
とにかく、オフラインで好きな曲を聴けないのは御免こうむりたい。
もちろん、母のiPhoneはiCloudミュージックをオフにしておいた。
よしなしごと - 20150829
「技術」とは、心が折れたり、辛苦が成功につながらない時にでも、ある一定の水準以上の仕事を維持する事が出来るという事である。スランプの時は、技術という力業で乗り切るのだ。そのうち、心が復活してくる。それまで持ちこたえる技術を身に付けるのがプロフェッショナル。(小池一夫)
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2015, 8月 19
レオ・レオニの「フレデリック」は、ねずみ界のニコ生主である
自宅の居間に「フレデリック」のポスターを飾っている。
レオ・レオニが生み出した、変わり者のねずみ。
- 作者: レオ・レオニ,谷川俊太郎
- 出版社/メーカー: 好学社
- 発売日: 1969/04/01
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レオ・レオニとの最初の出会いは、ほとんどの人が小学二年生の教科書の「アレクサンダとぜんまいねずみ」か、本屋の絵本コーナーの定番「スイミー」だろう。
アレクサンダとぜんまいねずみ―ともだちをみつけたねずみのはなし
- 作者: レオ・レオニ,谷川俊太郎
- 出版社/メーカー: 好学社
- 発売日: 1975/04/01
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齢8歳の無垢な子どもたちが、美しい色彩とかわいいねずみに心惹かれ、同じような装丁の「フレデリック」をほしがる。
が、こいつはとんでもない地雷図書である。
内容の解釈が大人でも困難で、賛否が大きく分かれる作品なのである。
フレデリックは、働かない。
冬ごもりに備えて、仲間のねずみたちが夏秋と食糧集めに勤しむ中、こいつは徹底して働かない。
ただ虚空を見上げ「季節を集めているんだ」と言うばかり。
その意味は冬ごもりの終盤で明らかになる。食糧が少なくなり、荒んだ仲間たちの心に、フレデリックは集めていた「春」を再現してみせるのだった。
物語はそこで終わっている。
小学生には二種類いる。
素直で阿呆で「子どもらしい」子と、聞きたがり屋で賢くて「大人びた」子である。
後者の子と、フレデリックの相性は最悪である。
フレデリックは、なにもしていないじゃないか。
フレデリックは、はたらいてないじゃないか。
なんでみんなおこらないの。
この本の感想を調べると、怒り出す子、不満を訴える子が一定数いるのだ。
親の側も、説明不足で理解に苦しむというコメントが少なくない。
まったく同感だ。
フレデリックはじつに怠け者だ。
世の中には、物質的充足と精神的充足がある。
絵も音楽も酒もギャンブルも色事も、まったく非生産的である。しかし、人は生命を維持するだけでは生きていけない。
「フレデリックは、ニコ生主だと思うんですよ」
先日、私は知人にそう言った。
「生主」と呼ばれる連中がいる。
彼らは、ニコニコ生放送を通して非生産的な娯楽を提供する存在であり、一部の生産的な人間たちは、彼らに依って生きている。
ポッドキャスターやユーチューバーは?と聞かれそうだが、あちらは仕事としている者もいたりで、割と生産的なので、やはりニコ生主が近い気がする。
フレデリックは怠け者だ。
でも彼は、非生産的なスキルを持つ者の存在価値を教えてくれる。
ここにいてもいいんだ、という気になる。
何もしないが何かをしている不思議なねずみ、フレデリックは、そんなこんなで、今日も私の部屋の壁で、穏やかに微笑んでいる。
おうちにはじめてGが出た。
深夜、背後でかさかさかさかさと聞きなれない音がしたので、振り返ったら茶色くて楕円形のコオロギみたいな虫がいた。
家のどこかにある、虫専用入り口から入ってきたようだ。
こちらに越してきてから屋外で見たことはあったが、自宅でははじめて見た。
弱っているようなのでビニール袋を被せようとしたが、気持ち悪いくらい早くて捕らえられない。
台所に逃げ込む。我が家で増えるとか勘弁してほしい。
必死で探す。
ガムテープが目に止まる。ガムテープを30cmくらいに切って、Gの上からぺたっとかぶせる。
そのまま包んでやろうとしたら、かさかさかさかさと凄まじい勢いでもがいて再び逃げ出した。ガムテープの粘着力から逃れるとか信じられない。まじでG気持ち悪い。
ガムテープを被せる→もがいて逃げられるのループを3回ほど繰り返す。
気付くとGは玄関のドアの前にいるではないか。
ドアを開け、ビニール袋で払い出し、すばやくドアを閉じる。
40歳にしてはじめてのGとの戦いは不戦勝で終わった。
明日は9時に家を出なければならない。
開けたときに戻ってきたらどうしよう。いっしょに車に乗り込んできたらどうしよう。
手を洗っても、からだじゅうがむずむずする。 Gがいない故郷に逃げたくなる、深夜4時。
糖質制限をしてヂェーンが太ってる理由がわかった
平日、自宅で糖質を控えるようになって一ヶ月ちょっと経った。
金曜夜から日曜昼までは好きなものを食べ、それ以外は米・麺・芋・砂糖を摂らないようにしている。少し前の記事の通り、朝昼はフルーツグラノーラを適正量か、ローソンのブランパンを食べる。
糖尿病患者やライザップな人たちのレベルではなく、あくまで「控えている」だけなので、ちっとも痩せない。
でも、食べたあとのだるさはなくなったし、おなかが少し凹んだようなので、悪くはないと思う。
なにより、毎日のごはんが楽しい。
元々、野菜も豆製品も好きで、甘すぎるもの、脂っこすぎるものが苦手なので、たっぷりの野菜とお肉さえ食べられれば幸せだ。時間があるときは、せっせと常備菜やタレを作る。
主食や芋類が食べられないのが辛いが、週末のラーメンとポテチが楽しみになった。
欠点は寝つきが悪くなったことだ。夏のせいもあるかもしれない。どうしても眠れないときは、とっておきの梅酒を少しだけ飲む。
20年くらい前のジャンプに「ジャングルの王者ターちゃん♡」という作品が載っていた。
野生生活を送る格闘家の活躍を描いた、ちょっとお下品なギャグ漫画である。アニメ化したときのターちゃんの声が岸谷五朗だったねえ。
ターちゃんの妻、ヂェーンはたいへんなインテリだが、メチャクチャ太っている。
動物保護をしているターちゃんに併せて菜食主義を貫いているが、まるで痩せない(一度だけ薬で痩せたことはある)。
ふとあの漫画のことを思い出し、もしかすると、ヂェーンが太ってるのには根拠があったのではないかと思いはじめた。
作中でよくヂェーンの生活が出てくるが、彼女の食事はたくさんの果物、ターちゃんが育てる芋類と野菜。たまに牛乳を飲む。
家事や農作業は夫任せで読書しかしてないので、明らかに高血糖と運動不足ではないか。
21世紀のダイエットから考えたら、皮下脂肪蓄積まっしぐらコースである。
まあ、太った嫁さんの尻に敷かれている描写自体がギャグなので、理論はどうでもいいことなのだが、作者はボディビルドにも明るい人なので、考えていた可能性もなくはない。
と、今夜もどうでもいいことを考えつつ夜が更けてゆく。自分は飽きっぽいので、糖質制限はいつまで続きますことやら。
お前たちはマクドナルドに何を求めているのか。
日曜日の夕方、特に意味もなくマクドナルドへ行く。
環状線と名四国道が交差するこの店は、入店もドライブスルーも途切れず、戦場のような忙しさである。
10分ほど待ったが、揚げたてのポテトが食べられたのはラッキーだった。
私はなぜマックへ行くのだろう。
マックは体に悪い。コスパを考えたらモスバーガーの方がずっといいばすだ。しかし今日も私はマックフライポテトをもぐもぐしながらスマホをぽちぽちしている。
ここ数年、マクドナルドは叩かれっぱなしである。
一ヶ月置いてもカビないポテトやら、到底食べ物に見えないナゲットの製造風景やら、異物混入やら。
Facebookで「ママたちがマクドナルドのお店をチェック!実際に作る様子を見てみました!」という動画が流れてきたが
「お金を触った素手で調理とか終わってる」
「牛を殺すところから公開しないと信用できない」
「私の友だちがお金もらって参加してた」
などなど、散々な言われようである。
お前たちはマクドナルドに何を求めているのか。
子どもたちに健康な食生活を維持させたいお母さんとか、
将来障がいをもつ子どもが生まれる可能性を完全にゼロにするべく目をキラキラさせて生きる夫婦が来るところではないのだ。
マクドナルドとは、紙細工のようなしょっぱいハンバーガーと、細くてカリカリですぐシナシナになるポテトと、原価数円のコーラを死んだ魚のような目をして食べる頽廃的な行為を楽しむ店である。
言うなれば、風俗店と一緒なのである。
つまり、マクドナルドは「楽しい家族の憩いの場」「子どもたちのための店」という方向なのに不健康なことをしているから、その矛盾を叩かれているのであって、叩かれるのをやめるには、カラオケボックスや漫画喫茶のような、頽廃的な方向へ行くしかないのだ。
十年後の経営を考えると、頽廃的な方向は難しい。
ビックマックセットを毎日がっつくようなデブチンが、結婚して家庭を築く確率は低い。健全で普通の家族に子どもが小さい段階で来てもらい、味の好みが確定する10歳前後にマック大好きになってもらい、次世代に繋ぐのがマクドナルドの長年の戦略なのだから。
ロッテリアが10段タワーバーガーとか、頽廃的な戦略を打ち出せているのは、ロッテリアがロッテの主業務ではないからだろう。
最近、マックには一人の中年男性や、マイルドヤンキーな家族をよく見かけるようになった。
「意識低い系」「将来の心配をしなくていい系」をターゲットにするのが、これからのマクドナルドの道なのだろう。悲しいことだが。
記事を書いていたらポテトがシナシナになった。ああしょっぱい。