糖質制限をしてヂェーンが太ってる理由がわかった
平日、自宅で糖質を控えるようになって一ヶ月ちょっと経った。
金曜夜から日曜昼までは好きなものを食べ、それ以外は米・麺・芋・砂糖を摂らないようにしている。少し前の記事の通り、朝昼はフルーツグラノーラを適正量か、ローソンのブランパンを食べる。
糖尿病患者やライザップな人たちのレベルではなく、あくまで「控えている」だけなので、ちっとも痩せない。
でも、食べたあとのだるさはなくなったし、おなかが少し凹んだようなので、悪くはないと思う。
なにより、毎日のごはんが楽しい。
元々、野菜も豆製品も好きで、甘すぎるもの、脂っこすぎるものが苦手なので、たっぷりの野菜とお肉さえ食べられれば幸せだ。時間があるときは、せっせと常備菜やタレを作る。
主食や芋類が食べられないのが辛いが、週末のラーメンとポテチが楽しみになった。
欠点は寝つきが悪くなったことだ。夏のせいもあるかもしれない。どうしても眠れないときは、とっておきの梅酒を少しだけ飲む。
20年くらい前のジャンプに「ジャングルの王者ターちゃん♡」という作品が載っていた。
野生生活を送る格闘家の活躍を描いた、ちょっとお下品なギャグ漫画である。アニメ化したときのターちゃんの声が岸谷五朗だったねえ。
ターちゃんの妻、ヂェーンはたいへんなインテリだが、メチャクチャ太っている。
動物保護をしているターちゃんに併せて菜食主義を貫いているが、まるで痩せない(一度だけ薬で痩せたことはある)。
ふとあの漫画のことを思い出し、もしかすると、ヂェーンが太ってるのには根拠があったのではないかと思いはじめた。
作中でよくヂェーンの生活が出てくるが、彼女の食事はたくさんの果物、ターちゃんが育てる芋類と野菜。たまに牛乳を飲む。
家事や農作業は夫任せで読書しかしてないので、明らかに高血糖と運動不足ではないか。
21世紀のダイエットから考えたら、皮下脂肪蓄積まっしぐらコースである。
まあ、太った嫁さんの尻に敷かれている描写自体がギャグなので、理論はどうでもいいことなのだが、作者はボディビルドにも明るい人なので、考えていた可能性もなくはない。
と、今夜もどうでもいいことを考えつつ夜が更けてゆく。自分は飽きっぽいので、糖質制限はいつまで続きますことやら。
お前たちはマクドナルドに何を求めているのか。
日曜日の夕方、特に意味もなくマクドナルドへ行く。
環状線と名四国道が交差するこの店は、入店もドライブスルーも途切れず、戦場のような忙しさである。
10分ほど待ったが、揚げたてのポテトが食べられたのはラッキーだった。
私はなぜマックへ行くのだろう。
マックは体に悪い。コスパを考えたらモスバーガーの方がずっといいばすだ。しかし今日も私はマックフライポテトをもぐもぐしながらスマホをぽちぽちしている。
ここ数年、マクドナルドは叩かれっぱなしである。
一ヶ月置いてもカビないポテトやら、到底食べ物に見えないナゲットの製造風景やら、異物混入やら。
Facebookで「ママたちがマクドナルドのお店をチェック!実際に作る様子を見てみました!」という動画が流れてきたが
「お金を触った素手で調理とか終わってる」
「牛を殺すところから公開しないと信用できない」
「私の友だちがお金もらって参加してた」
などなど、散々な言われようである。
お前たちはマクドナルドに何を求めているのか。
子どもたちに健康な食生活を維持させたいお母さんとか、
将来障がいをもつ子どもが生まれる可能性を完全にゼロにするべく目をキラキラさせて生きる夫婦が来るところではないのだ。
マクドナルドとは、紙細工のようなしょっぱいハンバーガーと、細くてカリカリですぐシナシナになるポテトと、原価数円のコーラを死んだ魚のような目をして食べる頽廃的な行為を楽しむ店である。
言うなれば、風俗店と一緒なのである。
つまり、マクドナルドは「楽しい家族の憩いの場」「子どもたちのための店」という方向なのに不健康なことをしているから、その矛盾を叩かれているのであって、叩かれるのをやめるには、カラオケボックスや漫画喫茶のような、頽廃的な方向へ行くしかないのだ。
十年後の経営を考えると、頽廃的な方向は難しい。
ビックマックセットを毎日がっつくようなデブチンが、結婚して家庭を築く確率は低い。健全で普通の家族に子どもが小さい段階で来てもらい、味の好みが確定する10歳前後にマック大好きになってもらい、次世代に繋ぐのがマクドナルドの長年の戦略なのだから。
ロッテリアが10段タワーバーガーとか、頽廃的な戦略を打ち出せているのは、ロッテリアがロッテの主業務ではないからだろう。
最近、マックには一人の中年男性や、マイルドヤンキーな家族をよく見かけるようになった。
「意識低い系」「将来の心配をしなくていい系」をターゲットにするのが、これからのマクドナルドの道なのだろう。悲しいことだが。
記事を書いていたらポテトがシナシナになった。ああしょっぱい。
よしなしごと - 20150715
バッグインバッグ買いに来た。いいなあ。こういう暮らししたいなあ。
今日は午前中打ち合わせをして、午後は一日、協業先のデザイナーさんとコーダーさんと仕様を共有するための資料作り。同時に自分の今後の仕事のための資料も作っていく。
夕方はいつものコワーキングスペースに出かけて、仕事をしている写真が必要になったためスタッフさんにやらせ写真を撮ってもらう。
で、今、無印良品に寄ってぼんやり好みの家具を眺めつつこれを書いているところ。
今日、衆院で安保法案が強行可決された。参院も時間の問題だろう。
我ながら愚者である。戦争になったら、まったりソファに座ってクーラーのきいた部屋で豆乳ラテなど飲んでる余裕はなくなるというのに。
Webは私にそこそこ安定した生活と広い世界を与えてくれたが、それと引き換えに、日々はますます雑になり、使い捨てられていく。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ
フルグラがおいしい
カルビーの「フルグラ」が好きで、このところ毎日食べている。
起きたらフルグラ50gに無糖無脂肪ヨーグルトをかけ、アーモンドとカシューナッツを2、3粒ずつ。
ザクザクして食べ応えがあり、今のところ飽きそうにない。
先日、いつものようにスーパーに買いに行ったら品切れで、トップバリュの「フルーツグラノーラ」だけ残っていた。
全く同じ具材、近い成分で7割くらいの値段。
トップバリュはお値段以上な品がけっこうあり、これもいけるのでは?と思って買って帰った
…のが間違いだった。
フルーツグラノーラとフルグラは似て非なるものである。
これがトップバリュのフルーツグラノーラ。
冒頭の画像と同じ50g。
まず違うのが、グラノーラの粒。
トップバリュの方は妙に均一なのである。こう言ってはなんだが鳥の餌のようだ。フルグラは粒がバラバラだし、たまに団子に固まったりしているので、同じ量でもかさがあるように見える。
手で砕いた感じを忠実に再現したのだろうが、このばらつきが牛乳やヨーグルトを混ぜたときの溶け具合のばらつきと、ザクザクした食感のもとになっている。
フルーツは同じくらい入っているように見えるが、トップバリュの方はパパイヤの気配が少なくレーズンが多い。また、ヨーグルトをかけたときの、いちごとパパイヤの戻り具合がまるで違う。
フルグラの方は、甘いフルーツが素早くもどることで自然な甘さが出るのだが、トップバリュの方はなかなか全体がなじまないので、粒が均一なせいで早くふやけてしまうグラノーラのベタ甘さだけが目立つ。
なにより気に入らないのが、トップバリュの袋が、写真の明るさを露光オーバーで飛ばしている点である。実際のグラノーラはフルグラよりもずっと茶色いのだ。
フルグラの方がなんらかの形でブランを漂白しているならそれはよろしいことではないが、食べたときの味わいの違いを考えると、単にトップバリュのフルーツグラノーラの素材の質の問題な気もする。少なくともあまり食欲が出る色合いではない。
というわけで、翌日にはフルグラを買い直し、半分ずつ混ぜて食べている。
もう一度断っておくが、トップバリュにもひじょうにおいしいものがたくさんある。あらびきソーセージや塩ポテチは特に気に入っている。
その中にも、本家を越えられないものというのがあって、そのひとつがフルーツグラノーラだったわけだ。カルビーが社を挙げて力を入れ、唯一商標を名乗るだけのことはある。
私が気に入って食べているのは、「フルーツグラノーラ」ではなくて「フルグラ」なのである。
Apple Musicは、音楽に詳しくない人に向いてる
7月からサービスがはじまった、Apple Musicを三ヶ月無料お試し中。とても楽しい。
有名な世界のアーティストの曲を聴き放題、というサービスならこれまでもあったし、Huluやスカパーなども「映画見放題」を謳っている。
が、映画も音楽もそれほど興味がない、興味が偏っている人間にとっては、そもそも「何を聴いたらいいのか」がわからない。何の料理が出るのかわからないバイキングを前金払って食べろと言われているようなものだ。ラジオで耳障りのよかった曲があっても、曲名など覚えてないのである。
Apple Musicは、初回起動時に「こんなアーティストいるよ!好きなのや、覚えがあって聴いてみたいのがいたらタップしてね!」と尋ねてくる。
ふわふわした丸いボタンが、私の頭の中のようだ。演歌、アニメ、ボーカロイドもあるようだ。あーこういうアーティストいたねー、うん好き好き。ぽちぽち。
すると、数時間ごとに「好きそうなアーティストのプレイリスト」を作ってリストアップしてくるようになる。それが冒頭の画像で、驚くほどが精度が高い。
キリンジやMONKEY MAJIKが気になってるって、どうしてわかったんだろ。
自分がすでに持っている曲から、傾向の似ている曲をどんどん再生してもらうこともできる。
対応している曲が少ないし、精度はいまいちが、これもかなり楽しい。鬼束ちひろの「眩暈」からスタートさせてみると、矢井田瞳、絢香、一青窈など、国内のバラードが得意な女性アーティストを勧めてきた。
あれ?Superflyは全然知らなかったけど、この曲よくない?
・・・( ’A`)ジーン
(数分後)
この曲気に入った( ;A;)
出会いをありがとうApple Music。
気に入った曲があれば、曲単位・アルバム単位で自分の曲としてダウンロードできる。もちろん月額内。
曲には著作権保護がかかっているので、Apple Musicを退会すると聴けなくなるようだが、これまでCDから取り込んだ曲とは別の場所に保管されるので、自分の曲まで著作権保護がかかることはないようだ。
たぶん、RSRなどの音楽フェスに行くようなレベルの音楽好きには、Apple Musicは物足りないと思う。
マニアックなアーティストほど収録曲が少ない。RSRで聴いて以来好きな、ハンバートハンバートはメジャーで7枚リリースしているが、収録されているのは三枚だけで、有名どころの「おなじ話(総天然色バージョンは全く別の曲)」や「アセロラ体操の歌」を聞くことはできない。
Apple Musicは音楽を聴かせるよりは、「新しい音楽との出会い」を音楽それほど好きじゃない人にも共有してもらうという、実にAppleらしい発想のサービスなのだと思う。
とりあえず三ヶ月、新しい曲の開拓をしてみようと思う。