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BUMP OF CHICKENの「K」の絵描きは最低だ

今日の記事は、BUMP OF CHICKENの「K」の歌詞と、孤独な黒猫と絵描きの物語を知っている前提で書く。


【高音質】BUMP OF CHICKEN「K」

BUMP OF CHICKEN K 歌詞

この歌を聴くとホロリとなる。確かに「いい歌」「泣ける歌」ではある。
しかしこの歌詞は「いい話」だとは思えない。むしろ絵描きは最低野郎である。

最も納得がいかないのは、このくだりである。

不吉な黒猫の絵など売れないが それでもアンタは俺だけ描いた それ故 アンタは冷たくなった

本当に猫のことが好きで友だちだと思っていたなら、なぜ猫の絵ばかり描いてとっとと死んでしまったのか。
猫にぬくもりを与えたかったのなら、画家は少しでも長く生きるべきだった。納得がいかない「売れる絵」も描くべきだった。
しかも親友に対し、なぜ確実に死ぬことが予想できる「真冬に遠くの街へ手紙を届けさせる」などということをさせるのか。

結局猫に二年間だけのハンパなぬくもりを与えて、自分の孤独感に投げっぱなしのまま死なせてしまっただけではないか。
絵描きよ、お前は「自分の世界観を完成させるための理想のモデル」が欲しかっただけではないのか。

文学が好きな人ならこう反論するだろう。

「黒猫はそういう異端の世界でしか生きられない絵描きが好きだったから、命をかけることを受け入れたのだ」
「絵描きと黒猫の孤独な友情は短い時間だったが完成されており、ゆえに永遠なのだ」

対象が「猫」だから美しい話に思えるのだ。客観的にゴキブリなどにして考えてみるといい。

そして、この歌詞は重要な視点が抜けている。故郷の恋人である。

猫が手紙を届けに来て、彼女はどんな気持ちだったろうか?「彼」が帰ってきたような気がしているだろうか?
「彼女は感謝している」というような描写は、女心がわからぬ藤原基央のエゴである。

彼女は絵描きが死んだことなど知らない方が良かったのだ。そのまま絵描きの行方がわからないまま、地元の誰かと結婚した方がたぶん幸せだった。
絵描きが猫の姿を借りて帰ってきて、しかも夢を叶えられないまま目の前で死んでいくのを見た彼女はこれからどうすればいいのか。

手紙を受け取った恋人は、息を引き取った猫を手厚く埋葬してやる。
「K」の字は哀れな猫への餞、埋葬という行為は弱い男だった彼との思い出を葬るため。
私にはそう思えてしまう。

あ、この歌自体は好きです。