さまようたましいは、まごまごしている。

考えすぎなうぇびんさんが文句ばかり言っているブログ

レオ・レオニの「フレデリック」は、ねずみ界のニコ生主である

自宅の居間に「フレデリック」のポスターを飾っている。
レオ・レオニが生み出した、変わり者のねずみ。

フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし

フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし

レオ・レオニとの最初の出会いは、ほとんどの人が小学二年生の教科書の「アレクサンダとぜんまいねずみ」か、本屋の絵本コーナーの定番「スイミー」だろう。

齢8歳の無垢な子どもたちが、美しい色彩とかわいいねずみに心惹かれ、同じような装丁の「フレデリック」をほしがる。
が、こいつはとんでもない地雷図書である。
内容の解釈が大人でも困難で、賛否が大きく分かれる作品なのである。

フレデリックは、働かない。

冬ごもりに備えて、仲間のねずみたちが夏秋と食糧集めに勤しむ中、こいつは徹底して働かない。
ただ虚空を見上げ「季節を集めているんだ」と言うばかり。

その意味は冬ごもりの終盤で明らかになる。食糧が少なくなり、荒んだ仲間たちの心に、フレデリックは集めていた「春」を再現してみせるのだった。

物語はそこで終わっている。

小学生には二種類いる。
素直で阿呆で「子どもらしい」子と、聞きたがり屋で賢くて「大人びた」子である。
後者の子と、フレデリックの相性は最悪である。

フレデリックは、なにもしていないじゃないか。
フレデリックは、はたらいてないじゃないか。
なんでみんなおこらないの。

この本の感想を調べると、怒り出す子、不満を訴える子が一定数いるのだ。
親の側も、説明不足で理解に苦しむというコメントが少なくない。

まったく同感だ。
フレデリックはじつに怠け者だ。


世の中には、物質的充足と精神的充足がある。
絵も音楽も酒もギャンブルも色事も、まったく非生産的である。しかし、人は生命を維持するだけでは生きていけない。

「フレデリックは、ニコ生主だと思うんですよ」
先日、私は知人にそう言った。

「生主」と呼ばれる連中がいる。
彼らは、ニコニコ生放送を通して非生産的な娯楽を提供する存在であり、一部の生産的な人間たちは、彼らに依って生きている。

ポッドキャスターやユーチューバーは?と聞かれそうだが、あちらは仕事としている者もいたりで、割と生産的なので、やはりニコ生主が近い気がする。

フレデリックは怠け者だ。
でも彼は、非生産的なスキルを持つ者の存在価値を教えてくれる。
ここにいてもいいんだ、という気になる。

何もしないが何かをしている不思議なねずみ、フレデリックは、そんなこんなで、今日も私の部屋の壁で、穏やかに微笑んでいる。