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さまようたましいは、まごまごしている。

考えすぎなうぇびんさんが文句ばかり言っているブログ

ティム・バートン風のサバイバルゲーム「Don't Starve」が理不尽すぎてハマれない

安寧なMinecraft生活から抜け出せなくなり、週末を2回ほど台無しにしたので、Vitaを封印した。

かといってこのまま無理にゲームをやめてもかえってよくない。そこで、「同じ傾向でハマりようがないゲーム」を探すことにした。

  • iOSサンドボックスゲーム
  • 2時間程度で区切りがつく
  • 難易度が高い
  • 明確な終わりがある
  • 物語とネタバレがある

iPhoneは商売道具なので、専用機と違ってずっとゲームをやり続けることができない。
なぜネタバレも必要なのかというと、敢えて先にネタバレを確認しておいて、早めに飽きるためである。

で、条件に合致したのが、ダーク系ゲーマーに人気の「Don't Starve」だった。

Klei Entertainment「Don't Starve: Pocket Edition」

時は20世紀初頭。科学者のウィルソンは謎の紳士の誘惑に騙され、膨大な知識と引き換えに不毛の異世界に放り出されてしまう。
ティム・バートンクトゥルフ神話が好きな人にはたまらない世界観である。

前からSteamで見かけて気にはなっていたのだが、予想以上にひどいゲームだった。
ひどい。これは本当にひどい。(褒め言葉)

まず、そもそも1プレイが2時間=15日くらいしか続かない。
あるときは飢え、あるときはモンスターに襲われ、あるときはハチに刺され、あるときは正気を失って悪夢に飲み込まれる。
遊んでいるだけで自分自身のSAN値もガリガリ削られる。ハマりようがない。

サンドボックスとしての完成度は高いので、この地で生きられるだけ生き延びてもいいし、テレポーターを見つけ出して脱出してもいいし、腕に自信があれば、黒幕である紳士「マクスウェル」を探してもいいらしい。
私はそんなレベルまで遊ぶ自信はないので、とっととマクスウェルの正体とエンディングをぐぐらせてもらった。

とりあえず脱出を目標にしてはいるが、5回やって未だに農業すら着手できないし、一時間もすればiPhoneが過熱して中断せざるを得なくなるしで、まあ自分にはちょうど良さげである。

終わりのない安寧なサンドボックスに危険を感じたときは、こんなとんがったゲームもいかがか。

なぜ世界中の人が同じフォークの持ち方をするんだろう

すごくどうでもいいことなのだが。

お昼にスパゲティを食べていて、ふと
「なぜ世界中の人が同じフォークの持ち方をするんだろう」
と思った。

我々現代人は、子どもの頃から本やテレビで人がフォークを使う様子を見て、中指を支点に親指と人差し指で支える持ち方になったわけだが。
はるか昔のメディアなどない時代は、どうやってこの持ち方が世界中に伝わったのだろう、と思った。

これはフォークの持ち方だけでなくて、ペンの持ち方とか、タオルの絞り方とか、背中の洗い方とか、用の足し方とか、子どもの増やし方なんかもそうで、移民の移動や、親から子の伝承という単純な図式だけで伝わるものなのだろうか。

例えば、たまにフォークを鷲掴みにする人や、洋式便器にまたがる人がいる。
それは親もそうだったのか、単純に本人がポリシー的にそうしただけなのか(便器にまたがるのはお尻を付けたくないかららしいが…)。

昭和天皇が純粋培養すぎて性教育をしてなかったので、ご成婚にあたって慌ててカリキュラムを組んだ、というエピソードを伝記本で読んだことがある。
ということは昔の天涯孤独な男女同士だとどうやって子を増やしていたのか。そのまま子どもができないまま終わるのか。本能でうまくいっちゃったりするのか。

今は世界中からどんな情報も入ってくるので、逆にわからなくなることもたくさんあるような気がする。

ディズニーランドでオズワルドを買うということ

10年ぶりにディズニーランドへ行った。
今回のおみやげは「しあわせウサギのオズワルド」にすると決めていた。

オズワルドを知ったのは20年くらい前のことだ。
私は90年代の白目ミッキーが嫌いだったので、黎明期の黒目ミッキー映画について調べていたら、彼に行き着いた。


彼を知っている人は多くなったが、ざっくり説明すると、ミッキーより前にウォルト・ディズニーが産み出したキャラクターである。

かなり人気があったが、ウォルトが権利争いに負けたため、オズワルドはユニバーサル社に渡ってしまった。
どん底から立ち上がったウォルトが、彼を越えるヒーロー、ミッキーマウスを世に出すのは、その翌年のことである。

その後のオズワルドは散々な作画崩壊を食らった挙句、ウッドペッカーに押され、アニメの歴史から消えてしまう。

80年後の2006年、ディズニー社はオズワルドの版権を取り戻すことに成功する。
そして、ディズニーストアの棚に、忘れられたはずの彼のグッズが並ぶようになった。


混沌としていた無声アニメ時代からやってきた彼は、公式にややダーティーなキャラ設定がなされている。
いたずら好きでナンパ者。陽気だが、自分に代わってヒーローになったミッキーには対抗心を燃やしているようだ。

Wiiのゲーム「エピックミッキー」では、オズワルドがミッキーに嫉妬をぶちまけるという、CERO大丈夫だったん…と心配になるような真っ黒いエピソードもある。

しあわせウサギのオズワルドとは (オズワルドザラッキーラビットとは) ニコニコ大百科 スマートフォン版!

今のディズニー社は、オズワルドを取り戻す必要はなかった。
人気キャラクターは他にもたくさんいるし、マニアックすぎる彼はグッズを作ってもたいして売れないだろう。ウォルトの遺言説もあるが、現CEOの目標だったらしい。

ぬいぐるみを手に取ると、それでもCEOが彼を取り戻した理由がなんとなくわかる気がする。

オズワルドは、ミッキーの片割れであり、影であり、ビジネスなど考えてもいなかったほど純粋な、若き日のウォルトそのものなのだ。


とまあ、いい話を書いてみたが、ディズニー社は著作権の不当な濫用やら、発展途上国での児童労働によるグッズ製作やら、裏ではろくなことをしていない。

オズワルドは、ディズニー社には珍しいオープンな扱いを受けており、すべての作品がYouTubeで公開されている。
オズワルド奪還をきっかけに、ちょっとは純粋なディズニー社になっていただきたいものだ。

サラ、帰ろう。—ロマサガ3・エレン編の「自由」

※ネタバレを含みます

RPG「サガ」シリーズには、やり込みプレイ向けの主人公が用意されていることが多い。「ロマンシング サ・ガ3」だと、エレンがそれにあたる。

彼女には固定のイベントがひとつもない。元々の能力も高いので、無茶な遊び方によく使われる。

個性がないように見えるエレンだが、彼女の視点から見た物語は、8人の中で最も人間らしく、切なく感じる。

シノンの開拓民、エレンは退屈だった。

自分ではなにもできない、妹のサラの面倒や、そんな関係にはなれそうもないと言ってるのにデートに誘ってくる、幼馴染のユリアンの相手をする日々。
村一番の腕っ節をもてあます日々。

そんな毎日は、ロアーヌのモニカ姫の護衛をしたことがきっかけで終わりを告げる。

自立心に目覚め、都会へ行ってしまうサラ。
モニカ姫に惚れられ、プリンセスガードとしてロアーヌに留まることになったユリアン

そのときエレンは、自分にはなにもすることがないことに気付く。
エレンは自由になってしまう。

おそらくエレンは、自由になることを恐れていた。
サラの面倒を見て、ユリアンを軽くあしらって、退屈な日々の中で「与えられた役割」を消化する方が楽だった。

全編を通して、エレンの目的はたったひとつ。
自らの宿命を知ってしまったサラを、「エレンの妹」に戻すことである。

エレンがサラの秘密に気付いていたかは、ゲーム中では一切描かれていない。しかし、実の妹ではないことは知っていはずだ。
酒場でひとりになったとき、エレンは気付かされる。
不憫で哀れでかわいい妹」に依存していたのは、自分自身だったのだ。

最後の戦いを前にしての、エレンのセリフはとても短い。

サラ、帰ろう。

このひと言にエレンが込めた想いは、単なる妹への愛だけではなかったのではあるまいか。


エンディングは、最後の戦いに誰を連れて行ったかで変わることになる。
望み通り、みんなとシノンへ帰ることもできるが、サラとの別れを選ぶ結末の方が、私はロマサガ3らしいと思っている。

変わってしまった運命はもう戻らない。
エレンはすっかり逞しくなり、自分の知らない仲間たちと旅立つサラに、せめてもの餞の言葉を贈るのだった。

あんたいつまでもあたしの妹よ。

ロマンシング サ・ガ3

ハンバート ハンバート、歌うは暖かな闇

「ハンバート ハンバート」というデュオを知って4年ほどになる。
RSRの参加アーティストの予習中に出会った「大宴会」のPVに魅入ってしてしまった。

佐野遊穂の澄んだ歌声と、佐藤良成の一心不乱にバイオリンを弾く姿。そして淡々とした歌詞。

大宴会 - ハンバート ハンバート

ハンバート ハンバートは、2005年に発表した「おなじ話」が「泣ける歌」としてよく知られている。
この歌も含め、全楽曲の半分以上が「別れ」「挫折」、そして「死」を扱った曲である。

しかしその「死」は、柴咲コウの「かたちあるもの」のような情熱的なものではなく、息をするような日常の風景として描かれる。
死を受け容れる者、受け容れられない者、そして死者自身。

おなじ話 / ハンバートハンバート

個人的には「おなじ話」よりも、前日譚のような「君と暮らせば」の方が好きだったりする。

君と暮らせば  ハンバート ハンバート - 歌詞タイム

恋人がもう死んでいることを知りながら、自分にしか見えない恋人と変わりない日常を送る「僕」。
雑音が混じる伴奏と、佐藤良成のスーダラな歌声。

ブラック・ジャック」のエピソード「ネコと庄造と」を思わせるその描写は、ほんの少し滑稽で悲しい。

【056】ネコと庄造と | 手塚治虫「ブラック・ジャック」40周年アニバーサリー! | 秋田書店

ハンバート ハンバートは、2000年代に作ったとは思えないような古臭い曲や、往年のフォークソングのカバーも多い。

「おかえりなさい」は、佐藤良成の低く優しい歌声に酔う、昭和の女唄。
「白夜」は、佐野遊穂が別れた男への恨みと赦しを歌い上げる、和製ブルース。

鬼束ちひろの初期の楽曲が持つ「闇」はピリピリと張り詰めている。だから本能的に抜け出すことができる。

ハンバート ハンバートの「闇」は、包み込むように暖かい。
今夜もふたりの歌声に包まれながら、夜が更けてゆく。

11のみじかい話

過去最高に泣いたゲーム「ポケモン不思議のダンジョン」を思い出すとまた泣く

とある世界のとある大陸に、いくじなしのアチャモが住んでいた。
女探検家に憧れるも、プクリン探検隊に弟子入りする勇気もなく、落ち込む日々。

ある夕方、彼女は海岸に倒れていたポッチャマを助ける。
記憶がないのに「自分はニンゲンだ」と言い張る、おかしなやつ。

誰かと一緒なら、勇気が出るかもしれない。
アチャモは行くあてのない「ニンゲン」を、探検隊に誘うのだった…


これまでで最高に泣いたゲームは何かと聞かれると、「ポケモン不思議のダンジョン 時の探検隊」しか思いつかない。
RPGではないのだ。そのくらいエンディングは号泣した。
なぜ完全版の「空の探検隊」を買わなかったのかと後悔したくらいだ。

ポケモン不思議のダンジョン 時の探検隊

ストーリーははっきり言ってベタだ。この手の展開は、ゲームでも映画でも5回くらい見た。
どうも前作も設定は違えど、ほぼ同じ結末であったらしい。
が、ベタな展開を承知で、あの手この手で「泣かせにかかってくる」のである。

このゲームの主人公は「元ニンゲンのポケモン」なのだが、パートナーである「いくじなしのポケモン」の成長物語に気合が入っている。視点もパートナー側にあるため、プレイヤーはいつしか、パートナーに感情移入する。
BGM、セリフ回し、演出も子供向けゲームとは思えない完成度でもって、「主人公との思い出」をチクチク仕込んでくる。

なにより、パートナーがめちゃくちゃ健気なのだ。オス同士にして、ショタBL展開に萌えるプレイヤーも多いとかなんとか。
探検隊の先輩たちをはじめ、脇を固めるポケモンたちのキャラ立ちもたいへんに良い。


ストーリーばかり書いてもアレなのでシステムの話もする。

ジャンルが異なるゲームシリーズのコラボは、だいたい失敗作となる。
チョコボ不思議のダンジョン」などは、ターン制が前提のローグライクアクティブタイムバトルを組み込むという噴飯ものの内容だった。

なので、この作品も「ポケモン大行進が見られればいいや」くらいの気持ちで適当に買ったのだが、ローグライクのルールを守りつつ、ポケモンの種族・属性・進化を取り入れたシステムに裏切られることになった。

レベルが下がらないので「風来のシレン」と比べるとかなりヌルいが、属性概念が優れているので、パーティー編成やアイテムで縛ると一気にマゾゲーになる。
やり込みができなくなった今の自分のゲームとの付き合い方にはちょうどいい。クリア後は、レベル1からスタートする本来のローグライクに近いダンジョンも出現する。


これだけたくさんのゲームがあれば、予想外、かつ泣かせるストーリーを作ることは難しい。
それを可能にするのは美麗なグラフィックではなく、丁寧に作られた小さな演出の積み重ねである。

泣けるゲームと言われるだけあって、エンディングはいつでも観ることができる。
自分がプレイしたコンビではないが、ときどき観て、アチャモの心の痛みを思い出し、また泣く。


ポケモン 不思議のダンジョン 闇の探検隊 Part-15(Final)

ユザワヤに行ったらクロバーの「匠」がなかった

ここ三年ほどやっていなかった編み物を再開している。
編み物は母からかぎ針と棒針を譲り受けて以来、30年来の趣味だ。講師を目指して本格的に勉強していたこともあるが、そもそも人に物を教えるスキルがないことに気付いたため、今は適当にやっている。

編み針が曲がってしまったので、栄の「ユザワヤ」という大手チェーンへ買いに行ったが、「匠」がなかった。

編み針といえばクロバーの「匠」だろおおおお(´Д` )

身頃によく使う番手は玉付き33cm2本針、裾に使う番手は、玉なし25cm5本針。
密度の高い竹で作られた針は、力のかかるアラン模様でも曲がりにくく、針先はささくれず、かつ糸をきれいにホールドする。

「匠」がない手芸店なんて!(´Д` )

竹針は、番手の刻印が彫り込み+焼印になっているのもポイントだ。刻印がかすれづらい。
ダイヤモンド毛糸の竹針も刻印が読みやすいのだが、最近はほとんど見かけない。

結局ユザワヤプライベートブランド推しで、品揃えも札幌の「カナリヤ」と比べてあまり良くなかったので何も買わずに帰った。

札幌のカナリヤは老舗だが、レイヤーが喜ぶ素材を充実させることで21世紀を逞しく生き残った。
入り口のショールームには恐ろしく完成度が高い初音ミクのコスプレフルセットが飾られている。コスプレだけでなく、手芸全般に至って品揃えが半端ない。
ああ、名古屋にああいうアツい店はないものか。

編み物はWebとの両立が難しい。
編み針を持ちながらパソコンは使えない。音楽を聴きながら心を無にして編んでいると、Webの勉強に使うべき時間がザクザク減っていく。

それでも、普段トレンドがコロコロ変わるWebと関わっていると、何十年経っても変わることがない趣味は実に楽しいのだ。