さまようたましいは、まごまごしている。

考えすぎなうぇびんさんが文句ばかり言っているブログ

素煎りミックスナッツが好きだ

このところ、ミックスナッツを毎日20粒くらい食べている。

おつまみ用の、ジャイアントコーンなどが入ったものではなく「素煎り」という煎っただけで塩がまぶされていないタイプだ。

 

昨年あたりから、糖質を控える目的で食べはじめたのだが、アーモンド・カシューナッツ・くるみのじわりとした自然な甘味が心地良く、最近は糖質は置いといて楽しんでいる。


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セブンアンドアイのミックスナッツは、コスパが良いが、マカダミアナッツも入っているので、やや糖質が高い。

ベビースターラーメンやポテチなどを少し混ぜ、いろんな味を楽しめるようにして、手製のハイボールやコーヒーと食べる。


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今日はプッチーザと明治のミルクチョコで。

数種類のおやつを買うので割高になるが、安いスナックだけをガツガツ食べるよりも、いろんな味を少しずつ楽しんだ方が、よく噛むし、食べ過ぎない気がする。

毎日ミックスナッツを食べていたら、意外な効果があった。冬の間悩まされていた、お通じがものすごく良くなったのだ。

豊富な食物繊維と適度な油脂が、腸の流れを助けてくれるのだろうか。

特にクルミとアーモンドは、動脈硬化の防止とかアンチエイジングに効果があるらしい。今後も続けようと思う。

子どもの頃は、ピーナツなどのナッツ類が嫌いだった。柿ピーも柿の種だけ食べていたし、サラダおかきとミックスになったお菓子は特に嫌いだった。

豆つながりであんこも苦手だった。

しかし最近は、ナッツが妙においしい。コメダでコーヒーを頼むとついてくる豆菓子も大好きだ。 

歳をとると、味覚もずいぶん変わるのかもしれない。

 

嫌がられない言選りについてまとまったことを呟いたので残しておく

以前「その言葉の使い方は慇懃無礼だ」と意見した際に「『慇懃無礼』とはどういう意味なのか」と問われたことがある。

この言葉を全く知らない人もいるようだが、少なくとも日本では知っておきたい言葉だ。

とかく言葉については、日本は生きづらい国だ。単に言選りを丁寧にすれば、自分の気遣いが伝わるというわけではないのだ。

「換気扇のフィルターを掃除する時は…絶対に…フィルターを濡らしてはいけません…絶対にです…」を試した

こんな記事を見かけた。
重曹は油汚れによくきくので大袋を常備しているが、水を使わない方が良いというのは盲点だった。

ちょうど換気扇フィルターが汚れてしまっていたので、試してみることにした。


こういう話題をすると、だいたい正論しかコメントしない人種が来るので、事前に断っておく。
一般家庭で 、換気扇フィルターがホコリと油まみれの状態になるのは、本来はあり得ないことである。

掃除をする・しない以前に、世の中には「不燃布換気扇フィルターカバー」という便利なものが数百円で売られており、それを数ヶ月ごとに張り替えていれば、あのような状態にはならない。はじめから「掃除の回数を減らす」発想を持った方が幸せに生きられる。

と、正論を言えばここで終わりなのだが、当の私は数ヶ月カバーを付けるのを怠って、フィルターに油の膜ができてしまったので、今回掃除をするわけだ。しょぼん。

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フィルターに重曹をまんべんなく振りかける。私の家のフィルターは金網方式ではなく、穴の開いたアルミ板が複数重なっている方式なので、当然穴から重曹がガバガバとシンクに落ちる。かなりの重曹を使う。

このまま三時間ほど放置。桜が見頃になった白石区のサイクリングロードへ行き、コメダでまったりして帰ってきた。正しい休日の過ごし方だ。

白石ココロードの桜が見頃ですよー\(^○^)/

帰宅後、目の粗いスポンジでフィルターを擦ってみる。たしかに油の膜が重曹の粉とともにボロボロ剥がれていく。
シンクに落ちたやつを拾い集めては、フィルターにかけてまた擦る。落ちる。楽しい。

水を使って重曹をペースト状に練ると、重曹自体の節約にはなるのだが、結局水の膜が油の膜と反発して、重炭酸ナトリウムの分解効果が落ちてしまうのだ。科学的に考えれば至極最もなことである。

熱めのお湯をかけて重曹をきれいに流すと、だいぶきれいになった。

しかし、今後フィルターカバーをかけるなら、もっと掃除した方が良い。重曹だけでは表面のぺったり感は落としきれない。

エコな暮らしが好きな人には怒られそうだが、私はここで改めて中性洗剤で洗う。
最初から中性洗剤を使うとまるで効果がないが、既に重曹で油の膜はなくなっているので、いつもの食器洗いと同じである。

こうして新品同様にフィルターがツルツルになった。
今度はカバーもぴっちりかけて安心。ゴールデンウイーク中のToDoがひとつ片づいた。


重曹は何かと便利である。茶渋やホウロウ鍋の焦げ付きにもきくし、手が荒れない。
容器に入れて靴箱に置いておくとある程度の消臭にもなる。ひっくり返すとたいへんなことになるので、自分を信用していない私はやっていないが…

料理に使えないタイプは数百円で買うことができるので、常備していた方がいいと思う。

BUMP OF CHICKENの「K」の絵描きは最低だ

今日の記事は、BUMP OF CHICKENの「K」の歌詞と、孤独な黒猫と絵描きの物語を知っている前提で書く。


【高音質】BUMP OF CHICKEN「K」

BUMP OF CHICKEN K 歌詞

この歌を聴くとホロリとなる。確かに「いい歌」「泣ける歌」ではある。
しかしこの歌詞は「いい話」だとは思えない。むしろ絵描きは最低野郎である。

最も納得がいかないのは、このくだりである。

不吉な黒猫の絵など売れないが それでもアンタは俺だけ描いた それ故 アンタは冷たくなった

本当に猫のことが好きで友だちだと思っていたなら、なぜ猫の絵ばかり描いてとっとと死んでしまったのか。
猫にぬくもりを与えたかったのなら、画家は少しでも長く生きるべきだった。納得がいかない「売れる絵」も描くべきだった。
しかも親友に対し、なぜ確実に死ぬことが予想できる「真冬に遠くの街へ手紙を届けさせる」などということをさせるのか。

結局猫に二年間だけのハンパなぬくもりを与えて、自分の孤独感に投げっぱなしのまま死なせてしまっただけではないか。
絵描きよ、お前は「自分の世界観を完成させるための理想のモデル」が欲しかっただけではないのか。

文学が好きな人ならこう反論するだろう。

「黒猫はそういう異端の世界でしか生きられない絵描きが好きだったから、命をかけることを受け入れたのだ」
「絵描きと黒猫の孤独な友情は短い時間だったが完成されており、ゆえに永遠なのだ」

対象が「猫」だから美しい話に思えるのだ。客観的にゴキブリなどにして考えてみるといい。

そして、この歌詞は重要な視点が抜けている。故郷の恋人である。

猫が手紙を届けに来て、彼女はどんな気持ちだったろうか?「彼」が帰ってきたような気がしているだろうか?
「彼女は感謝している」というような描写は、女心がわからぬ藤原基央のエゴである。

彼女は絵描きが死んだことなど知らない方が良かったのだ。そのまま絵描きの行方がわからないまま、地元の誰かと結婚した方がたぶん幸せだった。
絵描きが猫の姿を借りて帰ってきて、しかも夢を叶えられないまま目の前で死んでいくのを見た彼女はこれからどうすればいいのか。

手紙を受け取った恋人は、息を引き取った猫を手厚く埋葬してやる。
「K」の字は哀れな猫への餞、埋葬という行為は弱い男だった彼との思い出を葬るため。
私にはそう思えてしまう。

あ、この歌自体は好きです。

出瀬潔は変態と呼べるのか

ハイスクール!奇面組 1 (コミックジェイル)

ハイスクール!奇面組 1 (コミックジェイル)

先日、姉とドライブに行ったときに「潔くんって今の時代だったら、普通だよね」という話になった。
往年のギャグ漫画「ハイスクール!奇面組」の主要キャラ、出瀬潔のことである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/出瀬潔

この漫画では身体や興味において特殊な個性を持っている人間を、ポジティブな意味で「変態」と定義している(※1)。潔くんは「ジジ臭い」「スケベ」という個性があり、盆栽と美少女を愛し、女子のスカートを不意にめくることが日課である。
しかし、「ハイスクール!奇面組」自体が、性的な表現を極力抑え込んだ作風であるため、根が真面目な彼はかなり普通に見える。

連載当時は「オタク」という言葉すらなかった。美少女アニメとビデオで埋め尽くされた、宮崎勤の部屋が人々を震撼とさせたのは数年後の話である。30年後の今では、オタクが非難される時代もとうに超え、一億総オタク、アイドル萌えや美少女萌え、R18がTwitterに溢れかえる世の中となっている。

グラビアアイドルのポスターやエッチな本を集め、年下の妹の布団に潜り込もうとしてオカンにドロップキックを受ける潔くんは、平凡な21世紀の非モテ男である。
連載中、彼が人気投票でいつも下位だったのは、女性に人気がないからではなく、当時から見ても個性がなかったからではないかと思われる。

では、潔くんは「変態」ではないのだろうかと考えたが、否、彼はどう見ても変態である。

彼は女子のスカートをめくったりするわけだが「複数の気の強そうな女子がいて、バレて物を投げられる」ことがはっきりしているところでしか犯行に及ばない。一人きりのか弱い女子や、親友の唯ちゃんと千絵ちゃんには、手を出さないのである(※2)。

潔くんは「スケベな行為に及ぶ」ことだけではなく「バレて嫌われる」ところまでを一連の儀式として考えているふしがあるのだ。しょっちゅう女の子にラブレターを送って罵倒の返事が返ってくるようだが、それもため息をつきながらもちゃんと読む。
マゾか。マゾなのかお前は。

作中、彼は友人たちに「スケベ講座」なるものを開いており、その中で「スケベは卑猥になってはならない」と力説している。つまりエロとは違うらしい。
私にはようわからんが、性的衝動に基づかないスケベとは、めちゃくちゃ難しいものではないのか。メイドのストッキングフェチとか、アイドルの神聖視みたいなものか。

とにかく、潔くんという人物は(おそらく作者も内包している)フェティシズムマゾヒズムを、十代の若さで禁欲的な「道」として追求している人物なのである。
やっぱりTwitterに溢れる凡百のエロアカウントよりも、彼の方がよほど「変態」と呼べる気がする。

1969年生まれの彼は、実在していれば47歳である。
アイマスと同人とメイドカフェを極め、三代目を務める自宅の銭湯に地下アイドルを呼んでライブする、ヲタの神になっているんじゃないかな、と想像してみる。相変わらず非モテだろうけども。

※1 私は未読だが、小林よしのりは同様の意味で「異能」という定義をあてている
※2 アニメでは千絵ちゃんに手を出したことがあるが、設定間違いである。アニメでは原作の絶妙なキャラ設定を無視している描写がいくつかあり、LGBTである大くんの設定もかなり安っぽく表現されている。アニメのオリジナル化については「ミスター味っ子」のような成功例もあるのでなんとも言えないが、少なくとも私はアニメの後半は苦手である

保守的な私にはg.o.a.tがつらい

ブログサービスのg.o.a.tが新テーマを発表した。
記事のセクションごとに背景画像を選択し、スクロールで画面全体を切り替える仕様である。
このはてなブログとは対極に位置する。

g.o.a.t 新レイアウト Purple Hazeの使い方 - YouTube

これは読ませる気があるのか?と思ってしまった。
ものすごくスクロールしながら、4Gの帯域を犯しながら、そこまで読ませられる記事を書ける人間はどれほどいるのだろう。

それ以前に写真が(しかも素材を選択したら自分のコンテンツですらない)文章全体に影響するブログをブログと呼んでいいのだろうか。

あの画面からは熟しまくった果実のような、凄まじい自己満足の匂いがする。

私はつまらないことを言っている。
g.o.a.tは私のようなつまらない人間を切り捨てた新しいブログなのに。


人生に閉塞感があると人は保守的になるように思う。
また、革新的なものに対し嫉妬深くなる。

ファシズムしかり、Webの変遷しかり。
生存本能かもしれない。

そしてそういうフラストレーションを抱えたこじらせ系の人間たちが、今日も旧式のブログに集うのだ。

拝啓、ベーコンさん。「まるごとバナナについていいたいことがある。」にいいたいことがある。

昨日、ベーコンさん(id:rororororo)に、CSS Nite in SAPPOROに登壇していただいた。
内容が面白くためになったし、イベントも盛り上がったのだが、この記事は全然関係ない話題である。

私はベーコンさんに会ったら、ものすごくものごく、言いたいことがあった。で、懇親会で言ってやったよ!

「『まるごとバナナ』について書いた記事は、いち『まるごとバナナ』ファンとして納得がいかない!」

www.baconjapan.com

要約すると、ベーコンさんは「まるごとバナナのミディアムサイズは、食べ過ぎなくてとても良いと思うのに、なぜなくなってしまったのか」と憤っておられる。
しかし私は、まるごとバナナがミディアムサイズだけになったために買わなくなったという経緯がある。

今日のお仕事やっと終わった_:(´ཀ`」∠):_すごいがんばったからごほうび買ってきた。 #まるごとバナナ

私にとって、まるごとバナナとは不定期の「自分ごほうび」である。
サイトを公開したとき、めずらしく頑張ったとき、心が折れそうなとき、冷蔵庫には「まるごとバナナ」があった。ちなみにチョコ味も好きだ。あれはレアだ。

二年ほど前、ある日突然、コンビニのまるごとバナナが小さくなった。
最近の糖質制限・健康志向ブームの影響だろう。それはわかっている。しかし、私はミディアムサイズになった「まるごとバナナ」を買う気になれなかった。
最近になってフルサイズが復活するまで、購入頻度は半年に一回くらいになっていた。

買う気になれなかった理由を挙げてみる

1. ごほうび感がないから

「自分ごほうび」とは、自分を甘やかすことである。自分の欲望のままに行動することである。
ふわふわのオムレットにたっぷりのホイップ、そしてほどよく熟した甘酸っぱいバナナがどかっと入った「まるごとバナナ」は、おいしくてジャンキーで、私を甘やかすのにもってこいの食べ物である。
ごほうびに、中途半端は許されない。健康のために半分など許されない。

2. 割高感があるから

半分になったからといって半額にはならない。たしか、120〜130円くらいだったはずだ。
高い。バナナの原価やヤマザキの同様の洋菓子と比較すると高い。
自分ごほうびと言っても安っぽい部類なので、高いのは困る。高いごほうびにできるなら、環状通の星野珈琲に自転車を走らせてスフレパンケーキでも食べているところだ。

3. 輪切りの楽しみがないから

私の「まるごとバナナ」の食べ方には一定の儀式がある。大きめのお皿にデンと置き、フィルムを厳かに剥がし、フォークでチミチミと1cmほどの輪切りにして、断面を鑑賞しつつ食べる。
実はこれが味以上の楽しみであり、いわゆるユーザーエクスペリエンスとなっている。
しかし、半分の長さになってしまうと、輪切りの楽しみも半分だし、チミチミ輪切りにするのが難しいのだ。

マクドナルドの不振

理由を挙げていたら、私はばかなんじゃないかと思ってきたので、もう少し真面目なことも書く。

推測だが、ヤマザキが「まるごとバナナ」を旧来のフルサイズと、とても小さい「ミニ」に二極化したのにはそれなりの理由があると思っている。

マクドナルドはここ数年、ヘルシー志向・高級感を出そうとしていたが、不振のために旧来のジャンクフード寄りに舵を切り直している。
それはマクドナルド自身が「本気で健康を考えている顧客は、はじめからマクドナルドへ来ない」という真理を見失っていたため、というのがだいたいの論調である。
ブランドには、イメージと役割と、それにふさわしい顧客というものがある。

ここでヤマザキについて考えてみると、少なくとも洋菓子や菓子パンのジャンルに関しては、マクドナルドと同じ立ち位置と考えていい。
舌が肥えているスイーツ好きはもう一段階高級なブランドを求めるし、健康を気にする人は「ヤマザキのパンがカビない理由」などという都市伝説を信じていそうだ。

この考えに基づくと、ヤマザキの生涯顧客となりうる層は三種類となる。

  • スイーツはリーズナブルにがっつり食べたい
  • スイーツはリーズナブルに二、三種選びたい
  • スイーツはリーズナブルに食べたいが、がっつりは避けたい

これらを満たすのが、フルサイズとミニなのではないだろうか。
ミニを志向するような顧客には「ミディアム」という単語はどうもキャッチーではないし、まだまだ一般のスイーツより大きく見えるだろう。この辺はわかりやすく極端な方がいい。


と、こんな理由で私の反論は終了とさせていただきます。

まるごとバナナ」が食べたくなってきたが、一応これでも糖質を気にしているため、次の週末あたりの楽しみにしたいと思う。

まるごとバナナって通販で買うものなのか…?